共に陽を捥《も》いで別れる夏の果
「夏の果《はて》」は、夏の終わり。晩夏になると朝晩は涼しくなり、夏が終わりに近づいていることを感じる。夏の季語。
八月の終わりは、独特の切なさがある。
まだ暑さはあるものの、夏も残り少ない気配が強く漂うようになる。
そして、子ども達の夏休みも、あと僅かで終わる。高校の頃までは、新たな季節を迎える感覚とまた毎日登校する憂鬱さが入り交じり、どこかブルーで落ち着かない時期だったと記憶している。
夏を振り返れば、たくさんの思い出に満ちている。
久々に見た親類の笑顔や、友達と遊びに出かけて騒いだこと。祭りや花火などの心浮き立つイベント。海や山など自然の中で深呼吸した時間など……時が経っても忘れられない大切な記憶は、夏に集中している気がする。
親しい人たちや家族、友達や仲間と、輝く太陽を仰いで笑い合った思い出。
眩しくて額にかざした掌に注ぐ、陽射しの熱さ。指の間からきらきらと漏れてくる明るい光。
そんな感覚を大切な人たちと分け合った、特別な時間は過ぎて——夏の果てには、またひとりひとりになる。
それぞれの慌ただしい日常へ、いつもの顔になって戻っていく。
それは、何度経験してもその度に寂しくて、たまらなく切ない気持ちにさせられる瞬間なのだが——
一緒に空へ手を伸ばし、輝く太陽を捥いだ記憶は、心に焼き付いて鮮やかに残る。
いつまでもきらめきを失わない宝物のように。
そんな、自分の人生の中でずっと輝き続ける宝物を、私たちにいくつも残していく夏という季節は——やはりどの季節よりも特別で、愛おしいものに思える。