秋思きて信じたきものかたちなく
秋思《しうし》は、秋の寂しさに誘われて心に生まれるもの思い。秋の季語。
秋の夜中。
ふと、目が覚めてしまった。
すぐにまた寝つけると思ったのに、なかなか眠気はやって来てくれない。
いつもは全く聞こえない時計の秒針の音が、酷く大きく聞こえる。
絶えることなく続くその音は、やがて、何かを問いつめるような圧迫感を持ち始める。
——闇に取り残された感覚に、息が苦しくなる。
追い払おうとするほど、闇は重く覆い被さり——
この世界でひとりきりになってしまったような恐ろしさに包まれた。
いつもは、自分の側に何となく気配を感じている友や身内、仲間——そんな存在が、どうしようもなく自分から遠ざかってしまったような心細さに浸される。
朝までは、まだ遠い。
明るい太陽が去ってしまう季節だからだろうか。
秋は、僅かな心の隙間からひんやりと暗い物思いがするりと入り込んでくる、厄介な季節だ。
不安な時、私たちは、すぐに何かを疑う。
そして、疑うことで、ますますその不安は大きくなる。
疑うこと。
時には必要な場合もあるし、疑わなければ始まらない職業もある。
しかし——必要な場合以外は、疑うことは苦痛でしかない。
疑うこと。
それは、つまり「信じない」こと。
信じない。あるいは、信じられない。
結局それは、心の持ち方ひとつなのだが——
全てを疑い、信じない心で過ごせば、多分恐ろしいストレスに潰されるか、世界でたったひとりきりの孤立状態になるか——そんな結果が待っているだろう。
そして——
その、ただひとりの自分さえ信じられなくなってしまったら——もはや自分自身の心が安らげる場所はない。
簡単に信じて、痛い目を見る今の世の中だ。
大切なポイントでは、絶対に疑ってかからなければいけない。
けれど——それ以外は、「信じる心」でいたい。
お人好しでも、からかわれても、なんでもいい。
そして、何よりも一番信じたいもの——それは、「自分自身」だ。
自分を信じる。
自分だけは、どんなときも自分自身を信じ、自分を励ます存在でいたい。
世界で最も自分の味方でいてくれるはずの「自分の心」が、自分を信じないとしたら——こんなに無意味で不毛な地獄はない。
自分の生き方や考え方。選んだ道、選んだ方法。
自分のために精一杯力を尽くしているなら、その自分を認めてあげたい。
「それでいい」と言ってあげたい。
自分を信じる。自分に優しくする。自分を愛する。
実は、結構難しい。
それでも、そうすることが、結局自分のために最も心地よく明るい道を開いてくれる気がする。
自分自身のこと。自分の生き方や未来。周囲の大切な人たちとの絆や愛情。
大切なものに限って、形がない。目に見えない。
自分自身の心を、安らかに輝かせたいならば——
自分が信じたい物事を、疑いを持たずに信じることだ。