卵茹でまた八分の夏行きぬ
俳句においては、2023年は5月6日(立夏)〜8月7日(立秋の前日)の期間が夏。
8月8日の立秋以降は秋となり、秋の季語を詠む。
なお、立秋は年により、8月7日の年と8日の年がある。
夏。輝く光に満ちた、一年で最も明るい季節だ。
その強烈な太陽は、沈んだと思うとあっという間に戻ってきて、再び空を我が物顔に渡っていく。
そのせいだろうか。夏は切れ目なくひとつに繋がって、息つく暇もなく駆け抜けていってしまう季節——そんな感じがする。
——8月の、ある明るい朝。空気にはまだ僅かに涼やかさが残っている。
軽い朝食を取るため、卵を茹でた。
鍋に水を1センチ程張り、そこへ卵を並べて蓋をし、火にかける。沸騰したら中火にして5分、その後火を止め蓋をしたまま3分放置。合計8分間だ。
卵を水にとってしばらく冷やす。剥いた時に薄皮がへばりつかず、つるりと剥ける方法だ。
卵を火にかけてから、コーヒーメーカーに豆と水をセットしてスイッチを入れ、トーストを準備する。トマトとレタスを洗って、皿にざっと盛る。
窓の外では、朝の風に吹かれて、夏の木々の深い緑がざわざわと輝く。
8月になると、どことなく風の気配が寂しくなるのは気のせいだろうか。
卵の茹で上がりを知らせるタイマーが鳴った。
手を動かしながらあれこれと取り留めなく揺れ動いていた意識は、その音にふと立ち止まる。
——今、8分間が過ぎたんだ。
8分間というのは、長いのだろうか。それとも、短いのだろうか。
いろんなことができる気もするし、あっという間だった気もする。
時間の感覚なんて、とても曖昧だ。その時の状況によって、驚くほど伸び縮みする。
好きな女の子とおしゃべりをする1時間は1分間に感じるし、熱いストーブの上に手を置く1分間は1時間に感じる。それが「相対性」だ——アインシュタインは、そう言った。
時間とは、時計の針の動きではなく、自分の感じる長さこそ真理なのだ、と。
でも——。
今、8分間の夏が、また過ぎていってしまった。
——それだけは、間違いのないことだ。
ある夏の朝、決して止めることのできない時間の流れの中で、ふと心が立ち止まった記憶だ。