かたちなきものに包まれ秋日和
「秋日和」は、「秋晴」の傍題。秋空が澄み、晴れ渡ること。秋の季語。
九月。だんだんと、日中の陽射しにも秋の色が感じられるようになる。
夏のぎらぎらする黄金色の光が、淡いオレンジ系の穏やかな色合いに変わっていく。太陽の通り道がだんだんと頭上から移動し、光が斜めから差していることがよくわかる。
秋晴れの日。
深く、高く澄んだ空。明るく穏やかな陽射し。
和紙のように薄い純白の雲。爽やかに頬を撫でていく風。
どの要素を取っても、文句なく心地よい。
ここに存在していることに、満ち足りた幸せを感じる。
自分の手の中に、何かを得たわけではない。
掌を見つめても、そこには何もなく——自分の身の回りに、何か贅沢な物が増えた訳でもない。
ただあるのは——光と、空と、風だ。
そんな、かたちのないものたちが、この上なく満たされた幸福感を与えてくれる。
本当に心を満たしてくれるものには、形がない。
本当に大切なものは、心を働かせなければ見えない。そこに間違いなくあると信じなければ、存在を感じることができない。
人との絆や、友情、愛情、信頼——どれもそうだ。
目に見えないからこそ、本気で大切にしなければならない。
大切にしようと努力すれば、柔らかに自分を包み、幸福感で満たしてくれる。
手で触れることのできない——心で感じる以外にない、不確かなもの。
そんな、目に見えないものに包まれる幸せ。
——それは、何にも代え難い。
秋晴れの日の心地よさ。
自分の大切な人たちが側にいてくれる安らかさ。
お金や権力で手に入るどんな贅沢な品物よりも、深い幸福感を与えてくれるものがある。心を満たし、支えてくれるものがある。
そんな、形のないものたちの存在を細やかに感じ取れる心を——鈍らせないように、持ち続けたいと思う。