幸は手の中にあるものかき氷
かき氷は、「氷水《こほりみづ》」の傍題。夏の季語。
幸せとは、なんだろう。
誰もが追い続ける、難しい問題だ。そして、その解答もひとりひとりさまざまで、決してひとつにまとまるものではないだろう。
生きていると、幸せな瞬間というのがある。
例えば——
恋が実った。
志望の高校や大学に合格した。
憧れの会社に就職が決まった。
生涯の伴侶を得た。
愛する人との間に新しい命を授かった。
……その他にも、幸せな瞬間は人生の中に溢れている。こうやって書き連ねていくだけで、幸せな気持ちになる。
でも、それは果たして、その後の確実な幸福を約束する何かなのか?
——そう問われると、すぐには答えられないものが心に挟まる感じがする。
どんな幸せにも、苦みは必ずついて来る。
恋を実らせても、その恋人と酷いケンカをすれば、食事も喉を通らないほどに思い悩むことだろう。
学生生活も社会人生活も、結婚生活も……幸せを裏返せば、それと同じくらいの苦労や悩みがワンセットになっているはずだ。
甘さだけで満たされる幸せというのは、きっとどこにも存在しない。
そして、何が幸せかという質問には、やはり簡単には答えられないような気がする。
そう考えると——ぎらぎらと暑い太陽の下で味わうかき氷は、混じり気のない「幸せ」だ。
本当に些細な、何でもないことなのだが……それが幸せであることに疑問を感じる人は、おそらくひとりもいないだろう。
炎天下のかき氷だったり、汗をかいた後のビールだったり。
何の変哲もない日常の中にある、ちいさなちいさな喜び。
そんなものの中にこそ、100%の幸せを味わえるひとときがある。
——そんな気がする。