掬い上げるもの

日々の中から掬い上げたさまざまな思いを綴る、俳句&エッセイ。 一話があっという間の短さです。 どこから読んでも、好きなとこだけついばんでもよし。 よろしければ、お茶やコーヒー片手に気楽にお付き合いくださいませ。 マイナスイオンを深呼吸したい方も、ぜひお立ち寄りください♪

今いる場所で

 

 

 

 ふたつほど湯呑しずめて秋の水


 秋になると、野外や器の中、台所など、どこに存在する水も、静かに澄み渡る気配を持つ。「秋の水」は、そんな水の様子を表す。秋の季語。

 


 高く澄んだ空や、爽やかな風、穏やかな陽射し。
 そんなものを映し込むせいだろうか。
 秋の水は、どこに存在するものも、清らかに澄みきって感じられる。
 時にどこまでも深く、時に光を反射しながらきらめくように。

 

 

 当然の話だが、水は、置かれた場所に文句を言わない。
「こんな場所では充分に輝けない!」と、声を荒らげることはない。


 殊に、秋の水は、自らの存在する場所で穏やかに澄んだ美しさを放つ。

 どんな場所に置かれていたとしても——それにこだわることなく、自らをひたすら澄み渡らせ、輝かせる。
 その周囲までも清め、人の心を惹き付けるほどに。

 

 今いる場所に不満を漏らす。
 それは簡単だ。
 でも、仮に新たな場所へ移ることができたとして——そこでなら、澄みきった自分が得られるのだろうか?

 それは分からない。

 

 自分の今いる場所や置かれた状況に不満を並べても、多分望むものは手に入らない。

 そうではなく—— 
 自分の存在する場所で、自分なりに深く澄み渡る。


 きっと、それだけでいいのだと思う。
 秋の水のように。