何時よりの大人の舌や心太
心太《ところてん》は、天草《てんぐさ》を原料とする涼やかな嗜好品。夏の季語。
味覚は、成長につれて大きく変化していく感覚のひとつだと思う。
昔好きだったけれど、今はほとんど食べない……という食品も、数えてみればかなり多い気がする。
個人差は非常に大きいのだろうが……私の場合は、例えばバターやクリームをふんだんに使ったスイーツ。高校生くらいの頃まではそれはとても引力の強い食べ物で、どれだけ食べてもまだまだ食べたい気がした。
しかし今では、嗜好はぐっと辛味に傾いた。あっさり、さっぱりしたものが美味しい、という感覚。塩をふっただけというような、あまり複雑な味付けをしていないものが美味しかったりするから不思議だ。
自分の味覚の変化を特に強く感じた食品は、心太とビールだ。
どちらも、子どもの頃にちょっとだけ味見させてもらった時には、「なんでこれがおいしいんだ!?」という不思議な思いしかなかった。
幼い頃、母が食べていた心太が涼しげで、少しだけ啜ってみた。
口に入れた途端広がったのは、天草独特の植物的な風味と、酢醤油、辛子の風味。酸っぱくて、しょっぱくて、辛い……? ナンダコレハ??
これを喜んで食べる大人って何だろう?とつくづく不思議だったことをよく覚えている。
そして、ビールも同様だ。美しい泡の立つ、魅力的な液体。ぺろっと舌に乗せると、ひたすら苦い。シュワシュワしてるのに、なんでサイダーみたいに甘くないんだ!? 子どもの舌には、間違っても「美味しい飲み物」ではあり得なかった。
子どもの私にとって明らかに「すごくマズい」ものだったこのふたつの食品は、今では私の大好物だ。
どこが美味しいのか?と聞かれても……うまく答えられない。
それでも——はっきりと答えることができない「旨さ」を、脳や身体が捉えている。そしてそれこそが、何ともいえず心を惹き付ける魅力になっている——そんな感じだ。
よく考えれば、どこを美味しいと感じているのかよく分からないなんて、とても不思議で面白い。
こんなふうに、子どもから大人の舌に変わったのは、いつだろう。
それは——自分でも意識しない時間の流れや、脳や心、身体の経験が積み重なった結果なのだろう。
それぞれの個性や経験が、それぞれの好きなものを変えていく。——とても興味深いことだと思う。