掬い上げるもの

日々の中から掬い上げたさまざまな思いを綴る、俳句&エッセイ。 一話があっという間の短さです。 どこから読んでも、好きなとこだけついばんでもよし。 よろしければ、お茶やコーヒー片手に気楽にお付き合いくださいませ。 マイナスイオンを深呼吸したい方も、ぜひお立ち寄りください♪

狐花


 生といふ唐突なもの狐花


「狐花」は、「曼珠沙華」の傍題。彼岸花とも呼ばれる。畑の側や墓地など人里近くに群生する。彼岸頃の時季に、まっすぐな茎を伸ばし、赤く鮮やかな輪状の花を咲かせる。秋の季語。

 

 狐花。
 曼珠沙華彼岸花といった名の方がピンと来るかもしれない。
 多分、誰もが見かけたことのある花だろう。


 この花の姿は、とても不思議だ。
 一枚の葉も持たず、まるで一本の棒のように伸びた緑の茎の上に、鮮やかな赤い花が一輪だけ、唐突に開く。
 茎が枝分かれし、大小の葉をつけ、その葉に交じってつぼみや花びらがちらほら垣間見える——そんな、見慣れた植物の雰囲気を一切持たない。

 その奇妙な姿は、際立って鮮やかな花の色と相まって、独特の空気を放つ。
「狐花」や「曼珠沙華」、「彼岸花」といった名前の雰囲気もまた、その独特な空気の匂いを一層濃くしているのかもしれない。


 すーっと上へ伸びて、真っ赤な花がひとつ、突然開く。
 狐花のその唐突さは、ひとの生にも似ている気がする。


 気づけば、この世に生を受けていた。
 わけも分からないまま、ひたすら歩いて。
 いろいろなことが唐突に起こり——いつもぶっつけ本番で。
 練習ややり直しの余地もなく、目の前の出来事をひとつひとつ乗り越えるしかなくて——。

「生きる」ということを何か言葉で表現しようと思えば、「準備万端」とか「予想通り」とかいう表現より、「偶然」とか「唐突」という言葉のほうが、よほどしっくりくる。


 そして——
 その生の中で、それぞれの鮮やかな花をひとつ咲かせるところも——ひとの生と狐花は、よく似ている。

 

 どこか妖しさの漂う奇妙な花と、ひとの生が似ているなんて、おかしな話のようだが——。

 人生とは、結局それそのものが、奇妙で不思議な時間なのかもしれない。